カテゴリ:考えるシリーズ( 9 )

 

つれづれ草 その2.




 『沈黙は人格の礎石』  これインディアンの言葉。


沈黙による静寂・・・・

静寂は身体と精神の均衡を保つ。

叡智は静寂からやってくる。 言葉や知識ではないようだ。



 静寂がたりない世の中・・・政治家も、自分もだろう。



つれづれなるままにあたまに浮かぶよしなしこと


どうか我われに叡智がやってきますように・・・

by tukisamumental | 2011-03-08 22:49 | 考えるシリーズ  

つれづれ草 その1.

つれづれなるままにすぎていく。

AMラジオで真打競演や上方演芸会をきいたり、サザエさん見るくらいだもの。
いや、こんな言い方はサザエさんに失礼だった。ごめんなさい。

菅政権・・・大丈夫なのか。
まァ、政治で日本の経済を復興させることはできないだろう。
政治家が何かを作るわけではない。
政策は官僚が作る。米は農家がつくるのだ。
政治家は税金と借金を右から左に、左から右に流すだけだ。
だからそんなに数いらんだろう。
衆参50人ずつでどうだ!

この不況、世界の潮流の中に日本経済もあるわけで、
政府はリスクがあってももっと民間の経済活動に金をつっこむべきではないのか。
国民の機嫌ばかりとって、なんだかバラ撒いているが、本気なのか。

現況、財政を緊縮して消費税上げるしかないでしょうに・・・
だれが政権をとっても不安がつきまとうのだから、できるだけ長期の政権を維持して政党をこえて国家を営繕するべきだろう。そうでないと世界で信用を失うぞ。いいのか!

あれ、なんだか偉そうだなオレ。こんなに偉かったかなぁ・・・
なんだか勢いがついてしまって・・・失礼しました。
言い過ぎました。
 

by tukisamumental | 2011-03-08 22:39 | 考えるシリーズ  

もうそろそろ・・・



そろそろ運転はやめたほうがいいんじゃないか?

いやいや、やめたら運転できなくなる。

ん???

いつも運転してるから、運転できるんだ。やめたら運転できなくなる。

ああ、そういうことか・・・

この老人、どこでぶつけたか目のまわりがあおたんになっている。
かなり高齢なので心配して進言したが、余計なお世話だったようだ・・・・ 失礼しました。


気持ちがだいじやなぁ。しっかしパワーあるな。みなぎっておった。
人間、年齢なんか関係ないかもしれん。

by tukisamumental | 2009-07-09 19:59 | 考えるシリーズ  

年末ですね。


本屋で1冊の本をかった。
おもしろかったので紹介します。

リンゴを無農薬で作るのはたいへんなことらしい。
8年間の試行錯誤の末にそれを成し遂げたひとの話です。

その8年間は収穫ゼロである。苦しい時期が続いた。
万策尽き果てて死のうと岩木山を彷徨っている。
そこで月の光のもと、
みっしりと葉をつけたまぼろしのリンゴの木にあう。
農薬をかけていないその木は害虫もいなければ、病気もない。
山の生態系のなかでしっかり生きていたのだ。

男は、この山の生態系を自分のリンゴ畑でやろうと試みた。
雑草はボウボウ。
肥料もやらない。余分な栄養は木を弱くすると感じたからだ。
肥料をやらないことで、
リンゴの木は養分を求めてその根は地中を縦横無尽にはいばる。

畑のリンゴの木々に話しかける。
自分がリンゴの木ならといつも考えて作業をしている。
リンゴを育てるのでなく、手助けするだけ。
 
 職業 リンゴ手伝い業。 


このリンゴを食べてみたいものだ。

2006年12月にNHKのプロフェショナル仕事の流儀 農家木村秋則の仕事
で放映されています。
 
タイトルと内容はあまり関係なくなってしまった。すいません。

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by tukisamumental | 2008-12-31 21:12 | 考えるシリーズ  

宇宙衛星。




・・・・・人間の欲望は、その意味を、他者の欲望のうちに見出す。
それは、欲望される対象への鍵を他者が握っているからというよりは、
むしろ、欲望の第一の対象は、他者によって認められることだからである。
人間の欲望が形作られるのは、他者の欲望としてである。


欲望は他者との関係と分離できないことをラカンは示している。
フロイトによれば人間の社会は最初から「欲望の体系」だそうだ。

精神分析は、この欲望を明確化し純化する技法・理論といえる。
だから宗教のような救済、癒し、医学的治癒を目的とはしない。
何が善くて何が悪いかを定めようとするなら、
その前に自分の欲望を知らねばならないとラカンはいう。

ひとが自分の欲望を認識してそれに基づき動くなら、
人生の困難や葛藤に悩むことがあっても、
それはまったく違った仕方のものになるとラカンは考えた。
精神分析は苦しみをとってくれるわけではないのである。

他者にむかう欲望とは対極的に、
ドゥル-ズは欲望を主体にふりあてることをやめた。
欲望は機械のように連結してものを生産し、社会を構築していく。
欲望が人間関係じたいをつくりだすと考える。

何れにせよ、ひとびとがどのように欲望のパワーをいかして、
よりよく生きていくことができるかが課題のようです・・・



話変わって、円鏡(いまの円蔵)の謎掛けをふたつ。

宇宙衛星と掛けて、宇宙衛星と解く、そのこころは宇宙衛星だから

宇宙衛星と掛けて、氷と解く、そのこころはどちらも自転車屋で売ってくれない



ナンセンスですわ。 ほんとくだらない。
しかし笑いでは許される。
見方によったら禅の公案のようです。
ラカンはむずかしい。

でも、
馬鹿馬鹿しすぎて元気になりませんか?
くだらなくて怒るひともいるでしょうか・・・

わたしはラカンより円鏡のほうががぜんすきですね。
比較するようなことじゃないですがね。

二人ともことばを生業としています・・・・

by tukisamumental | 2008-05-06 18:17 | 考えるシリーズ  

ことばと世界。つながりのコスモロジー


ことばによって世界を切り取り、
断片化したことばを集めて世界を再構成する。

再構成された世界は各々で違っている。
ゆえにひとは同じ世界を共有しているわけではないから、
喜んだり、悲しんだりしながら他者とコミュニケーションをつくっています。

メルロ・ポンティはことばと思考の関係についてこんなふうに言っている
    
    語り手は話すまえに考えるのではないし、話すあいだに考えるのでもない。
    語り手のことばが思考そのものである。 
    ・・・語はわたしの言語的な世界のひとつの特定の場であり、
    わたしの装備の一部である。
    わたしがそれを表象するには、ひとつの方法しかない。
    それは発音することである。


随分さっぱりと考えていますね。

ことばを原因として虚構の世界も生じるし、
つながりのコスモロジーを生きることもできるのだ。
多くの人は、できれば断片化していない世界で、
分離感や孤立感なく生きたいと思っているのではないでしょうか。

断片化していない世界を生きることは可能なんじゃないかと
こんやのわたしは考えています。

by tukisamumental | 2007-12-28 22:50 | 考えるシリーズ  

わたしのたわし。


「わたし」にとって
いろんなタイプのひとがいる。

親密な感情をいだくひと
関心を惹かないひと
好感をもてないひと等々・・

そんなふうに感じるが、ほとんどが固定観念や偏よった見方だろう。
親密と感じていたひとの態度が自分に対して友好的でないなら、
怒りの感情が現われることだってある。
この場合、親密なひとに対して愛情の心をもっていたのではなく
ただそのひとに執着の心をもっていたにすぎない。

なぜなら愛情の心には偏よりはなく、
相手の態度によって変わることはないからだ。

「わたし」のまわりにいるひとにたいしてどういう感情を抱くかは
「わたし」の問題なのだろう。

「わたし」という観念が消えると苦しさがなくなるのだろうが、
「わたし」という観念が生きる衝動になっているのも事実だ。

なんだかよくわからなくなってきたが、
まァしかし、
だれとも偏りなくつきあいたいものですわ・・・



追記

「わたし」のところは「たわし」でも問題ありません。
観念ですから・・ もともとないんですから・・・

by tukisamumental | 2006-10-04 21:38 | 考えるシリーズ  

ひとりごと。

べつにいいんだよ。
惑星でないってかい?
1930年だったかい?
おれを見つけたの。
むかしからいたのにさ~

おれ惑星だってよろこんでたのに・・・
「他の惑星と異なる性質を持つことは天文学者の共通認識。」って
惑星から降格だもんな~
ちょっとかっこわるいなァ~
昇進でなくて降格だぜ・・・
火星や金星にあわせる顔がねーよ。
ま、遠すぎてあえねえけど・・・顔もねーしな。
しかも多数決できめたっていうじゃねーか!
科学って多数決できめるのか?
 
でも冥王星って名前を
日本の教科書に残す考えがあるそうだ。
先生が子供や親の疑問に答える準備を十分にしないと、
教育現場が混乱しかねないというのが理由。
って、日本の天文学者の代表が言ってたそうな。

ま、名前を残してくれるのはうれしいけどな・・・

おれはずっとむかしからいたし、くるくる回ってた。
太陽のまわりをうまく回れなかったかもしらんが・・・

先生や子供やその親が生まれるずっと前から
おれはいたし、くるくる回ってた。

教育、疑問、混乱という言葉が生まれるずっと前から
おれはいたし、くるくる回ってた。

冥王星って名前を頂戴するずっと前から
おれはいたし、くるくる回ってた。


降格でなくてよ、
名誉惑星とかにしてくんねーかなァ~
頼むわ、地球の人間さん!

by tukisamumental | 2006-08-25 21:41 | 考えるシリーズ  

休日に考えるシリーズ①

誰に向けて書かれたものか?

自分のなかでおもいえがいた他人。その他人が世間の人々を象徴していたりする。
自分のなかの隣人と対話しても他者をつかまえることはできません。

二十世紀の芸術はフロイト(性の問題)の影響が大きいといわれるけど、
言語の自由度を減らしているような感がある。

言語はほんとうに隣人と他者のあいだをうめることができるのか?
大江健三郎さんは「われわれ」と表現していましたが・・・

ニーチェや三島由紀夫は死んでしまいました。
芸術至上主義。
病んでいたと一言でかたずけることはできないと思います。
消耗します。

文学や芸術に他者をつかまえることができるのか。

言語には行動をひきおこすチカラがあり、
時として言語と行動が一体となってあらわれることがある。
これは美的瞬間なんだと想像します。
しかし瞬間です・・・

表現することに半端なヒュ-マニズムはいりません。
いつも他者がテーマなのです。

by tukisamumental | 2006-04-30 20:22 | 考えるシリーズ